戦争と仏教1

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2010年8月13日 15:57
関西テレビ
戦争と仏教
 ~寺報が記した戦時の教え~



「戦争と仏教」関西テレビ、13日 心の狂い浮きぼりに
「戦争と仏教」関西テレビ、13日 心の狂い浮きぼりに
産経新聞 8月12日(木)15時58分配信



今年の夏で終戦から65年。
現在は多くの伝統仏教教団が平和の大切さを強調するが、
大戦中は同じ教団が日本の戦争の正当性を説き、
「聖戦」と賛美していたことはあまり知られていない。
13日放送の関西テレビ系ドキュメンタリー
「戦争と仏教~寺報が記した戦時の教え」(後3時57分)は、
大阪の寺院で発見された戦時中の「寺報」を通して、
戦争が宗教家を含めいかに
多くの人の心を狂わせたかを浮きぼりにする。

浄土真宗本願寺派(本山・西本願寺、京都市)の
千里寺(吹田市)の本堂床下で、
当時の住職が昭和4年から19年にかけて発行した
門信徒向けの寺報「如是(にょぜ)」が近年大量に見つかった。

「起(た)て仏教徒 ふるえ降魔(ごうま)の剣(けん)」
「陛下の御名による戦争は、いつの戦争でも聖戦であります」-。
どの号も戦争を推進する見出しが目立ち、
人々の心を戦争に向かわせる論説であふれていた。
浄土真宗本願寺派には、
「戦時教学」といわれる理論を打ち立てて
戦争推進に協力していた歴史がある。

普遍的であるはずの宗教が、
歴史的な状況によってその教えを変質させ、国家が戦争に向かえば
戦争推進のための宣伝部隊のような役割まで担ってしまう-。
そんな歴史が現実にあったことは、忘れ去られてよいものではない。

番組は、こうした問題意識をもって
過去の資料や関係者の証言、
現在行われている平和への取り組みなどを広く取材し、
平和の大切さについてあらためて考えることを目指す。

番組を担当する同局報道番組部ディレクターの豊島学恵さんは
「人間の愚かさを指摘し平和や平等を尊ぶ仏教が、
 なぜ国の戦争に協力することになったのか。
 こうした歴史を繰り返さないために
 どのような取り組みが必要なのかを考えてほしい」
と話す。(植木芳和)

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武田 達城さん(大阪・千里寺 住職)
頭低いですから、気つけてください。
いつものまま、散らけたままにしております。
この辺からずーっと奥に木箱がありまして、
昔のりんごの箱、みかんの箱から
たくさんの寺報が束となって出てきたわけです。
※註:千里寺の前身は千里山仏教会館
千里山の歴史・文化

ナレーション
大阪・吹田市の寺の床下で、古い寺報が見つかりました。
信者に向けて寺が発行していた月刊誌です。

武田 達城さん(大阪・千里寺 住職)
殺してはならない。それから殺さしめてはならない。
殺させてもだめだという、それが当然仏教の基本的な教えなんですけど、
その教えの中でなぜ、じゃ戦争を賛美して肯定して協力したか。

ナレーション
時は昭和の戦争の時代。寺報は仏の教えとして、
人々の心を戦争に向かわせる論説であふれていました。

浄土真宗本願寺派
本山の西本願寺(京都)には、
法要ともなると全国から大勢の信者が訪れます。
およそ700万人の信者を抱え、日本最大規模の仏教教団です。
所属する寺は全国に1万。
宗祖、親鸞念仏の教えを伝えています。
武田達城さんは本願寺派の僧侶です。
自分が住職を務めるこの寺の本堂の床下で、
戦時中の寺報が見つかりました。

武田 達城さん(大阪・千里寺 住職)
本願寺という教団の中で、戦争のことを学んでるんですけども、
積極的に仏教教団が戦争に協力をしてきたことを習っておりました。
そういうことは本願寺の資料としては知ってたんですけども、
自分の住職してる寺の歴史の中に、
そういう戦争協力の文章が載っているということは、
やっぱりなぁという想いと、出てきたかなという驚きですね。
そういうものが両方ありましてね。

ナレーション
寺報「如是(にょぜ)」を発行していた武田達誓さんは、
今の住職の祖父にあたります。
昭和のはじめ頃から、大阪・千里山を拠点に、
仏教を広める活動をしていました。
この活動の一環として、信者向けに出されていた読み物が「如是」です。
記事の多くを達誓さん自身が書きました。
如是/釈尊よりこう聞いた-という経典の冒頭の語より

如是(昭和9年8月号)
今日、日本一般の人間は総て西洋風の思想になって居る。
即ち総ての事に向って権利義務ばかりを考えるようになっている。
然らばどうすれば現代の人として、
親や君を有難く感ぜしむる事が出来るか。
自分は、宗教の信仰に外はなかろうことと思う。
宗教の内でも佛教でなくてはならぬ。

ナレーション
この頃、日本はいわゆる満州事変の後、大陸への進出を本格化し、
国内でも戦時色が徐々に濃くなる時代です。
そんな中、達誓さんが盛んに書いたのが、仏教と道徳に関する論説です。

神戸 修さん(戦後問題研究者・布教使
宗教無用論、仏教無用論みたいなものに対しての不安というか、
危機感はずっと一貫してあったかと思います。
時代迎合という言い方もできるかと思いますが、
当時はやっぱり時代に即応して社会とともに生きるみたいな
社会的な広がりを求めていった、ひとつの結果だと思います。

ナレーション
昭和12年7月、盧溝橋事件をきっかけに日中戦争に突入します。
如是では戦争に関する論説が一気に目立ちはじめます。

如是(昭和12年9月号)
戦争と仏教(講和) 殺人剣―活人刀
佛教では戦争を肯定いたします。
ただし、正義の戦争に於いてであります。
文化の発展向上を期し、人の平和と幸福のために
当然起こる競争が戦争になろうとも、
その目的が正義に立脚して、
国家の擁護と国民の幸福にありとする場合は、躊躇なく戦うべし。

ナレーション
「戦争は子供の体にできた腫れ物を切ってやるようなもの。
 その手当てを子供は恨むかもしれないが、大人になれば感謝する。」
こんな親心にも例えて、中国との戦争を論じていきました。

そんななか大きな出来事がありました。長男、寛さんの戦死です。
如是では悲しみがにじむ文体で、長男の姿を思い起こしながら、
最後はしっかり覚悟を決めていたことを褒めたたえ、こう結んでいます。

如是(昭和13年5月号)
我子に捧ぐ
寛! 御身は世界一の手柄者! 寛! 御身は世界一の幸福者!

ナレーション
名誉の戦死。しかし、達誓さんの妻は母として、
こんなうたを如是に寄せました。

如是(昭和13年5月号)
我子を迎えて 千代
征きし日の  姿に変る小さき箱  母は抱きて  軽きにをののく
迫り来る  死の翼下にて遥けくも  そなたはひたに  母を呼びしか

ナレーション
それから3年余り(昭和16年12月)、日米開戦の日を迎えます。
昭和16年12月8日、日本軍はハワイ・真珠湾を攻撃し、
アメリカなどを相手とする太平洋戦争に突入。その翌月の如是です。

如是(昭和17年1月号)
起て! 佛教徒  (たて! ぶっきょうと)
揮え! 降魔の剣 (ふるえ! ごうまのけん)
本願寺派の法主、生き仏様と拝まれた方が、念珠と剣を握り変え、
軍装勇ましく御訓示されたあのお姿を何とみますか。
幾ら法主でも生き仏様でも、日本帝国の臣民である以上、
臣民が第一であるはずです。臣民が先で、教徒は後であります。
わが帝国は世界の何れの国家とも同様に語ることは許されません。
わが帝国の戦争、今度の戦争は善悪を超越した戦争です。
神聖なるべき陛下の御名によって開始される戦争は、
いつの戦争でも、聖戦であります。

神戸 修さん(戦後問題研究者・布教使)
時代時代の価値観を忠実に、あるいはまじめに、
優等生的に取り込んでいくことの怖さというか、
そういうことをぼくは感じるんですよ。
たくさんの本を読まれてますよね。
それと、教団がその都度その都度、出された方針に非常に忠実ですし、
よく時代の動向を読んでられるということがわかるようなことですし、
決して思いつきとか主観とか、自分の欲望でやったわけではなく、
むしろそういうものはなかったのかな…。

ナレーション
西本願寺は来年、宗祖親鸞の750回忌を迎えます。
現在、平和への願いを込めた「世のなか 安穏なれ」をスローガンに
大法要の準備を進めています。
しかし、65年ほど前まで本願寺に掲げられていた標語は
大きく違っていました。
戦時中(昭和12年当時)の西本願寺。
戦争を推し進める標語が掲げられています。
「皇軍萬歳 盡忠報国 本派本願寺」
当時、教団では戦争を肯定する思想を盛んに研究していました。
これを戦時教学と呼びます。
「皇国宗教としての浄土真宗」(戦時教学指導本部)
教団が出したこの本では、
浄土真宗は日本的精神によって開かれたものであり、
日本を守ることが信者の務めだと教えています。
本願寺派の学者の最高位、勧学梯 實圓さんは、こう指摘します。
註:梯實圓和上法話集

梯 實圓さん(本願寺派勧学)
日本独特の天皇を中心に社会体制というのがあるから、それを認めて、
それを鼓吹するようにと…。さきほど言いました富国強兵ですね。
それに邁進するようにと国是を決めまして、それを学んで、
仏教にもそれを宣教せよと言うんですから…。
あの当時、仏教教団なんてありゃしませんので…。
あるのは神道しかないんですよ。

ナレーション
明治維新の後、国は各宗教団体に天皇を中心とした国づくりに
協力することを期待し、教団はこれに応じました。
国に寄り添ってきた教団にとって、戦争の時代にとるべき態度は
自ずと決まっていたのです。
註:「敗戦50年」西本願寺教団の光と闇
註:真宗教団の戦争協力

梯 實圓さん(本願寺派勧学)
国全体が大陸進出という形で動いていくのを、
教団だってそれを当然のことぐらいに考えてた。
ほとんどの人はですよ。
なかには、それをおかしいと批判する人は
いらっしゃったりしますけども、
ほとんどそれは昭和に入ってきますと、
もうその批判さえも許されないような風潮の中で、
のめりこんでしまったということでしょうね。

ナレーション
戦局深まる昭和19年1月の如是です。
物資不足のため、これを最後に終刊となりました。
最終号の論説は「正しき死方(しにかた)」です。

如是(昭和19年1月号)
滅私奉公、盡忠報国ということは、ただ死ねばいいというのではなく、
いつでも命を捨てる覚悟で己の職場を厳守すること。
私の任務ですか? 眠れる者を起し、迷える者に諭し、
悩める者に死方を教えて、私もともに死ぬのです……。
これが私の死方です……。これが私の生方です。

ナレーション
昭和20年8月。如是の発行が終って1年半。日本は敗戦を迎えました。
如是は木箱に入れられ、孫の代までその姿を消します。
如是を発行していた達誓さんは戦後益々活躍し、
教団運営を取り仕切る宗務総長にまで登り詰めました。
しかし、戦争中の発言については多くを語りませんでした。
※註:武田達誓/龍谷大学の元理事長(昭和35年12月~昭和37年5月)

平成21年。達誓さんの孫、達城さんは仲間の僧侶たちと、
如是をテキストに勉強会をはじめました。

武田 達城さん(大阪・千里寺 住職)
こういう資料が出てきました。ということは私にとりまして、
自分が住職している寺の単なる歴史を編纂した
というだけでは済まなくなったわけです。
千里寺はこういうことの上に成り立っている。
自分の課題としてこれを学んでいけたらなぁと…。
課題というのはどういうことかと言いますと、
どこの寺も、あるいは教団も大学も、そうやったかもしれへんが、
戦争中のこういうことを、戦後きちっと責任を取ってないんですね。
そのままなんとなしに言い換えた。
よく私が聞きますのは、
「戦争に行って戦死することは非常に名誉なことだ。
 敵の鉄砲の弾は、お浄土からの法の雨(のりのあめ)と思って、
 喜んで当たって死んでこい、そこがお浄土や」と。
こういうお説教をしていた人が、戦後は
「平和日本の建設はまさに、お念仏であります」
とパッと言い換えていく。
まぁ、そこまでなくても、そういうものが先人の歴史の中にも
あったんじゃないかなぁと思います。

勉強会の参加僧侶A
生々しい歴史やなと思います。
私らも僧侶としてね、今はこういう平和な時代ですけど、
現場でご門徒さんに伝道しているわけですから、
その中で私自身の言葉というのが重いんやなぁと…。
知らず知らずの間に、次代に流されているんやないかなぁ
とかいうことの教訓になりますよね。

勉強会の参加僧侶B
やっぱり反戦の立場でいたいと思いますし、
また自分がご縁のあった方々が戦場に赴くということを
自分が体を張って止められるような僧侶でありたいと思うんですが、
でも同時にそれがきれいごとで終ってしまわないかな
という不安も正直あります。

<戦争と仏教2>に続く
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by mamorus7 | 2010-08-13 15:57 | 宗教・生死


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